~ファイト!~

以前、随分年配の訓練士にこう聞かれた。

「なんで君は咬みつく犬なんか訓練するんだ?」と・・・。

“なんか”とはまたずいぶんな言いぐさである。

聞くまでもないことを聞いてくる時点で真剣に答えるのも面倒くさかったので「やりたいから」とだけ言ってそれ以上取り合わなかった。

“なんか”という言葉を聞けばたったその一言で多くの意味が連想できる。

“なんか”という言葉にはののしりの意味合いがある。

「なんで君は咬みつく犬なんか訓練するんだ?」

この問いを拡大解釈してみると物凄いことになる。

“なんか”という時点で「咬みつく犬は訓練しても直らない、変わらない、つまり無駄なことである・・・」ということを意味している。

さらに穿った見方をすれば訓練士は咬みつく犬“なんか”を訓練する必要はなく、芸を教えることを専門とし、警察犬や作業犬の育成に力を入れるべきであり、大会などで良い成績を獲ることを目標とするべきだとも受け取れる。確かにそれも訓練士の仕事にかわりないが咬みつく犬の訓練を“なんか”とののしってしまえば必然的にそう言ってるのと同じ事になる。さらに言えば咬みつく犬“なんか”殺処分してしまって新しい犬を飼えと言っているようにも聞こえる。事実そういうふうに言われたことのある飼い主様にお会いしたことがある。

私の耳は悪いのだろうか?

飼い主様にとってはかわいいわんこである。もらわれてきた頃はかわいかったのである。それがいつの頃からか歯車が狂い始め、咬みつくようになったのである。

れっきとした“命”である。咬みつく犬を訓練しなければどうなってしまうかぐらい子供じゃないんだからわかるはずである。

“なんか”と言われカチンときた。だから答えるのが面倒くさくなった。私は命がけで本気咬みの咬癖犬と向き合っているのである。やりもしない外野は黙っていてほしいものである。

しかしいつの世も真剣に闘っている人間を笑う輩はいるものである。

そういえば昔こんな唄がCMソングであった。唄っていたのはたしか中島みゆき・・・。

「ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう。ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ」

笑いたければ笑うがいい・・・・。

護岸の上で笑う彼らには想像すらつくまい・・・。恐怖をくぐり抜け、究極の訓練を成し遂げた時に味わう至福の喜びも断腸の思いでわんこを見送り、一日千秋の思いで帰りを待っていた飼い主の歓喜も・・・。

いわゆるプロと言われる訓練士たちがやりたがらない本気咬みの咬癖犬をなぜ私が訓練するのか・・・・近いうちに明かしたい。

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