私は小学4年の冬から中学2年の冬まで北海道
千歳市に 住んでいた。
毎年鮭がのぼってくる清流千歳川が家のすぐ前を流れていた。夏の夜は川のせせらぎをBGMに眠ることができた。
一方、冬はご存じの通りとてつもない寒さである。
うっかり 外からドアノブを触れば一瞬で張り付いてしまう。鼻を垂れれば凍りつき、泣けば涙はパリパリになる厳しい気候だった。
実に自然豊かな環境で少年期を過ごすことができたことに感謝している。
ある日、ジョギングの最中、通りかかるといつもついてくるという仔犬を父が譲り受けてきた。名前をエスという。
世話の担当はほぼ私だった。散歩、ブラッシング、エサなど ほぼ私が行った。ドッグフードなど与えたことはなく、使わなくなった鍋で人間の残り物を与えていた。特にカレーが好きだった。今では考えられないメニューである。
二人の兄がいるがほぼノータッチで私が腕を骨折した時と修学旅行の時のみ散歩に行ってくれたのを覚えている。 犬についての知識などほとんどなく、ただ飼っていたと言って良いだろう。何を食べさせたらいけないとか、ワクチンは毎年打つとか、フィラリア予防薬を与えるとか今でこそ当たり前のことだがそんなことはまったく知らずにただ飼っていた。散歩して、エサをあげて、たまにブラッシングをしていた程度である。逃げ出したら2日は帰ってこなかった。でも大好きだった。
そんな無知の我が家である。避妊手術などしているわけもなく大自然の摂理に基づき、ある日エスは身ごもり、2ヶ月後3匹の命を授かる。
だが新たな命はすぐに土へ帰ることとなる。
まだ子供の手のひらの大きさである。名前さえついていない。色はクリーム、黒、茶色・・・・これだけは今でもハッキリと覚えている。
埋めてあげることになったが厳冬の北海道である、土を掘る前に雪を掘らなければならない。千歳はそれほど雪は多くない方だったがそれでも60cmほど掘ってようやく土が見える。今度は凍り付いた土を掘らなければならない。硬くて硬くてなかなか手のひらサイズの仔犬たった3匹を埋められる深さにならなかったのを覚えている。
何も知らない無知な私たちに飼われたがためにあっという間に生涯を閉じてしまった。
彼らは今も千歳川のほとりに眠っている。
30年も前の話である。
当訓練所では繁殖は一切行っていない。いや言い方を間違えた。行う資格などない・・・。
絶滅危惧種:中村信哉は過去の反省を胸に秘め今日もわんこを見守る。