この手記は10件の専門家にたらい回しにされ、北栃木に辿り着いた柴犬コロさんのオーナー様が卒業に際して記したものである。原文をそのまま転記しています。ねつ造無しのオーナー様の声をご覧ください。
中村
コロが帰ってくる当日は、朝から皆ソワソワしていました。
何度も時計を見て、今かと今かと待っていたのに、先生が到着されたちょうどその時、私は仕事の電話につかまっていました(泣)
急いで切り上げて駆けつけると、もう喜びのご対面の瞬間は終わっていて、コロは何事もなかったかのようにおトイレ散歩に出発していました。
そんなものです(笑)
中村先生と輝く希望の星・見習い訓練士の三森さんは、いつものように粛々と卒業レッスンの準備をされていました。
お顔を見たら泣いてしまう!と思っていたのですが、いざ、コロを目の前にするとそんな甘いことは言ってはいられません。
「以前、悪いことができた場所に変えると、また悪いことができると犬が実力行使に出てくる」
「訓練士さんの言うことは聞くけれど、飼い主の言うことは聞かない」というのと同義語だと思います。
「あれ?中村先生にならがっつり叱られたけれど、この人たちはそうじゃないのか。」
とコロが感じてしまって段々とワガママがエスカレートする、そんな小さな事が積もり積もって、大変なことになるのです。
すっかり目の座った私たちは、先生に細かい質問を繰り返し、その都度先生が丁寧にレクチャーして下さり、三森さんがアシストして下さり、もういよいよお伺いすることもなくなりました。
飼い主はテンパっておりましたが、コロはすっかりリラックスして、そして、見違えるほどに従順になり、嬉しそうに私たちの言うことに従っていました。
1年とちょっと、先生に沢山お世話になったというのに、ちゃんとお礼申し上げたどうか、定かではないくらいのテンパり具合で、夜になり「コロが寝て、本日は無事に終わりました。」とメールした時に、ようやく我に返り「もしかしたら、里帰り訪問しない限り、もう中村先生や三森さんになかなかお会いすることのないのか!」と思い至りました。
あんなに通った那須塩原駅にも、訓練所にも!
どっと寂しさが押し寄せてきました。
でも、それは本当は良いことなのです。
再度お会いする可能性として一番いけない「再入所」だけは絶対に避けたいので(当初、私たちのあまりの怖がりぶりに、コロが自宅と訓練所を行ったり来たりして、最終的に戻ってくるというプランもご提案頂きましたが、お忙しい先生が大田原―神奈川を行きかわれるかと思うと、絶対にダメだと思いました。こんな風に先生は、飼い主と犬が最小限の努力で済むように、柔軟な対応をして下さいます。)退路を断って、前に進むのみです。
翌朝から、いよいよ、私たち飼い主とコロだけの生活がスタートしました。
私たちが「ほめる躾」に傾倒したきっかけとして考えられるのは、一番初めのパピークラスの先生がおっしゃった一言でした。
「今は『権勢症候群』なんて無いのですよ」
「何としてでも、コロが『権勢症候群』にならないようにしたいのです!」と言った私に対しての答えがそれでした。
「権勢症候群に犬なると、犬が自分をその群れのリーダーだと思い、人間を下位の存在と見なし、言うことを聞かない、咬むなどの事態に陥る」ので、それだけを避けたいと思っていた私たちは、この言葉をすっかり誤解しました。
「もう昔のような厳しい躾はいらなくなったのだ!最先端の一番いい躾方法で、コロを育てよう。」
もしかしたら先生は「権勢症候群なんて『言わ』ないのですよ。」とおっしゃったのかもしれないのに。
(そもそも「最先端ってなんだ、自分」と、厳しく叱ってやりたいです。)
ということで、過保護で甘い飼い主だったことを恥じ、心入れ替え、毅然としたメリハリある態度を心がけ、初めの三日間は訓練所と同じ時間割で過ごしました。
チェーンカラーの着脱も、今まで大騒ぎしておやつで釣って行っていた足ふき・ブラッシング・爪切り等も「待て」の一言だけで、スムーズにできました。
そして、それでもきっと見落とし部分があるといけないので、早め早めに言うことを聞かなそうな時はコロに注意したり叱ったりして(ほとんどないのですが)過ごしています。
感動的だったのは「オイデ」です。
日中お天気のいい時、コロは庭でフリーで過ごしているので、「オイデ」の一言でちゃんと来るように先生が躾けて下さいました。
それでも、私たちだけでもちゃんと来なければ意味がありません。
帰ってきた日の夕方から、早速練習してみると、ちゃんと「オイデ」ができました。
気がそれそうになった時は、ちょっと厳しめに声を掛けて叱り、来たら褒めるを繰り返していくうちに、門のところに来客がある時でも、遠いところからでも戻ってくるようになりました。
今まではおやつで釣っていて、それでも戻ってこない、つかまらないことの方が多かったです。
今はイソイソと戻ってきます、おやつなしの褒め言葉だけで!
あんなにテンパって戻ってくる日を迎えたのに、たいした問題もなく過ごしています。
今日は近所のショッピングモールに散歩がてら出かけ、コロは張り切って歩いて戻ってきて爆睡していました。
とりあえず最初の一週間が無事に過ごせたことに感謝しています。
コロは中村先生に沢山叱られたと思いますが、その100倍褒められて、褒められることの喜びを知りました。
そして、「咬む犬」ということで隠れてしまっていたコロの個性、本当はおっとりしていてひょうきん者であるという部分も引き出して下さいました。
今は散歩に行けるのが嬉しいらしく、よくおどけています(笑)
昔は大の散歩嫌いだったのに!
コロはあのままの「可愛いコロ」で、飼い主たちの言うことをよく聞き、さらに犬らしさが増し、私たちもまたコロの表情を読めるようになってきました。
おやつやおもちゃ、褒め言葉で一生懸命に言うことを聞かせようとしていたころは、こんなことはありませんでした。
「コロはずっとこのままかもしれません。それでも私のレッスンを続ければ、コロが死んだ時に、やるだけの事はやったと思えるでしょう。」
そんな風に言ったトレーナーさんがいらっしゃいました。
「それじゃあ、何のためのレッスンなんだろう」と、とてもむなしく感じました。
その方は初めてクライアントさんの犬に咬まれたばかりで、私の顔の傷に貼られたガーゼをこわごわと見つめ、コロにおやつを食べさせるのがやっとでした。リードを持つことさえもせず、「飼い主が変れば犬が変る」をモットーに講義ばかりでした。
別のトレーナーさんは、こうおっしゃいました。
「もし処分されるのであれば、保健所はやめて、獣医さんによる安楽死にしてあげて下さい。」
私たちは確かに十数回咬まれていますが、一度もそんなことが話題に上がったことすらありませんでした。ですから、この発言には衝撃を受けました。
そんなことはありえないことなのですから。
そんなことをするくらいなら、それをされるのはコロをそんな風にしてしまった私たちなのです。
沢山のトレーナーさんと関わった、出口の見えない長いトンネルがようやく終わろうとしています。
何が何でも先生の教えを守り、今度こそ明るい道をコロと歩いていきます。
「中村先生って、いったい何者?こんなにすごい人が普通に存在するの?」
「犬」というと可愛いように思えますが、咬む姿はライオンや豹と変りありません。
「本気咬みの犬」と暮らしたことのある方なら、きっとおわかりになると思います。
そうなってしまっては、丸腰のほとんど何の知識のないような人間では太刀打ちができないのです。
でも専門家である訓練士さん達は、そんな手間のかかる危険な犬を引き受けなくても、十分お仕事はあるので、ほとんど引き受けてくれません。
中村先生は、皆が嫌がった柴犬3歳オスを即答で引き受け、楽々と連れ帰り、培った犬への卓越した知識と技能、愛情を持って辛抱強く躾け直して、また送り届けて下さいました。
先生は飼い主と犬が、再出発する日を迎えるまで、不屈の闘志で犬と向き合い、全身全霊のそのまた上の全身全霊で獅子奮迅の働きをされます。
これは大げさな褒め言葉などでは、決してありません。
これだけだとちょっと抽象的かもしれないので、有名人に例えると、
- 「自分は不器用な男ですから」の日本字男児代表の高倉健さん(先生は何でも手作りの達人ですが)
- 「雨にも負けず 風にも負けず」で有名な東北のロマンチスト
- 宮沢健治賢治先生を足して二で割らないで、さらに先生の登場時には大向こうから「待ってました!信ちゃん、このひょうきん者!」と思わず声を掛けたくなるような、そんな人間味あふれる素敵な方です。
(今なら可愛いのに「小粒でも山椒はピリリと辛い」見習い訓練士の三森さんもセットで登場します。)
先生のようにコロに接することを目標にして、その薫陶を胸にこれからもメリハリのある飼い主として精進します!
そして、コロと終生楽しく暮らしていきます。
と言っても、戻ってきてたったの一週間です。
あとさらに3週間経った「戻ってきて一か月後」に、またご報告いたします。
私たち家族がどうなっているか見当もつきませんが、「かわいさに油断するな!」を合言葉に注意深く、そして楽しく過ごしていきます。
ここまで長々お読み下さった皆様、大変有難うございました。
先生への深い感謝の気持ちと、そして、かつて私たちと同じように「本気咬みの犬」と暮らし、途方に暮れている飼い主さん達に届くことを願って書きました。
ほっとして生活していける飼い主さんが、一人でも多く増えることを願ってやみません。
中村先生、言葉に尽くせぬほど、ありがとうございました!
引き続き、粛々と頑張ります!